コロナだけどアメリカ大学を目指すブログ

コロナでCA業がお休みになり、アメリカの大学を目指すことに!バンコクを経て現在シンガポール在住。

母の日に思うこと

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母の日のお祝いには、

いつも日ごろの感謝を込めて花束をプレゼントしています。

直接アメリカから送るわけにいかないので、

いつも楽天さんでオーダー。

 

 

 

 

早速届いたそうです。

アメリカから封書で送った母の日カードは

まだ届かないだろうなぁ。

ほんとコロナによる郵便事情どうにかしてほしいもの。

ちなみにまだ日本で頼んだ小包が来ていません。

既に1か月以上経過。

 

私には子供がいないから、母の気持ちは1ミリも分からないと思うけど、

娘として母の偉大さは日々感じています。

 

母は私と真逆なタイプで、

しっかりしていて気が強く、周りとワイワイ楽しくやっていくタイプ。

父の仕事の関係で仕事は続けられなかったけど、

商社マンの妻としてやり遂げた感はありました。

 

海外にいたときは元祖駐妻として日々奔走。

専業主婦といえども、日本から出張者が来たときは家にお招きし、

おもてなしパーティなんて日常茶飯事でした。

週1以上のペースで自宅接待をしていたので、

休んでいるところを見たことがなかったな…

 

更に月に数回は社内の「婦人会」が開かれ、若い頃は大変だったそう。

まだ30代だった母は下っ端。

ポットラック(持ち寄り料理)を何品も作らなければならず、

いつもメニューが重ならないよう試行錯誤していました。

そのためイタリア料理、中華料理、カリフォルニア料理(創作)のクラスにも通っていたっけ。

 

先輩方は当時50~60代のご婦人方。

未だ有閑マダムチックな支店長夫人のひっつめ頭を覚えています…ガーン

↓有閑倶楽部の百合子みたいなスタイル。

 

本気でざぁます言葉使っていて怖かったです。

中には皇族の家系の人もいたし…(女性だったので平民と結婚)

 

 

何か分からないことがあれば、この先輩方に謙虚にお伺いを立てる。

何も聞かないで勝手なふるまいをして、あとでお叱りを受けるよりはマシだったよう。

そうやって上に気に入ってもらえてたようです。

どこいっても、こういうのあるんですね。照れ

 

そんな母を見ながら育った私と妹。

忙しすぎてあまり遊んでもらえなかったけど、

兄弟二人いたので寂しくなかったです。

 

今はシニア婆ちゃんらしく「最近の海外赴任者は楽でいいわね」

と上から目線発言しまくりですが、

まぁあの当時は今よりしきたりが厳しかったんでしょう。

まさに時代ですね。

 

今は定年退職し、妹家族の近くに住んで日々孫の世話をしています。

私もいつか可能ならば孫の顔を見せてあげたいなー遠い話ですが。キョロキョロ

 

改めて母の日おめでとうございます♡

健康で長生きしてねー!!チュー